*羽幌炭砿とは?

羽幌炭砿とは正式名称を"羽幌炭砿鉄道株式会社"といい、道北の日本海側にある羽幌町の築別川上流に築別炭砿、その支流の三毛別川に羽幌本砿、および羽幌川上流に上羽幌砿の三つの坑口があった、国内有数と言われる優良炭を産出し埋蔵量も多いとされたが1970年に閉山した炭砿のこと。
現在も草むした原野の中に、かつての炭砿施設が数多く点在し"産業遺跡"の探検スポットとして有名である。

 

*幌内ダムとは?

道北のオホーツク海側にある雄武町を流れる幌内川河口から約5kmに位置する「着工年不明、1953年竣工の堤高21mの発電用ダムで1973年に使用が停止された」と公式にはなっているが、実際には"幌内川送電株式会社"により1939年着工され1940年に堤高13mの発電用ダムとして完成している、という「?」なダムである。
これは1940年完成直後に、まだ完成検査前の発電所上屋で火災が発生し、その修復作業中の1941年6月7日午前9時20分、前夜から降り続いた豪雨による増水で上流から流されてきた流木が一気にダムに流れてきてダムの放水路を塞ぎ 堤体をオーバーフローした水の圧力に耐えきれなくなったダム本体が中央部から決壊し、当時の道警発表によると下流の住宅36戸が流失、倒壊2戸、220人が罹災しそのうち66人 (60人とも80人という説もあり)が犠牲になるという大事故を起こし今度はダムそのものが使用出来ない状態 となり、そのままの状態で1951年の再工事が始まるまで「工事途中で決壊したダム」として放置されていたようである。
ちなみにダム決壊の原因として、ダムの管理会社が上流で伐採された木材の流送を請け負いその木材が豪雨による増水で一気にダムに押し寄せて放水路を塞 ぎ増水した濁流が堤体を乗り越えてしまったことと、ダム自体が粗悪コンクリートを使用するなどの手抜き工事で作られていたことで一気に堤体が崩壊したと言われている。
その後、1951年に枝幸町と雄武町に電力を供給するために雄武枝幸町電力農業協同組合が設立され、決壊したダム中央部や発電施設などを新たに作り直して1953年にようやく正式に完成した、という 「曰く付き」のダムなのである。
なお現在、ダム本体は取水ゲートその他が取り外された状態でオーバーフローの砂防ダムとして現存して おり、2008年現在、堤体の一部を取り壊して魚道を設置する工事と堤体本体の補修工事が行われていて、工事終了時には堤体下に公園が、また堤体を見下ろせる山の頂上(現在、ダムを見下ろせる高台の向かい側)に展望台が作られるとか・・・(ダム下は保護水面に指定されていて禁漁。となると道路が出来て喜ぶのは密漁者くらいなものだと思いますが・・・?)。
また国道238号線を稚内方面から走ると幌内川を渡る時に対岸の丘になにやら石碑のような物が見えるが、それが1941年のダム決壊事故の犠牲者を悼む記念碑である。

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旧羽幌炭砿跡・その1

石炭ホッパー(三毛別・羽幌本砿跡)。

旧羽幌炭砿跡・その2

選炭工場跡(三毛別・羽幌本砿跡)

旧羽幌炭砿跡・その3

石炭ホッパー内部(築別炭砿跡)。

旧羽幌炭砿跡・その4

煙突だけが残った住居跡(三毛別・羽幌本砿跡)。

旧羽幌炭砿跡・その5

人家のない山の中をしばらく行くと突然現れる鉄筋四階建てのアパート群(築別砿)。

レンガサイロ

離農した廃屋脇にたたずむレンガ造りのサイロ。

幌内ダム(2006/10/10)

展望台から見た幌内ダム。

幌内ダム魚道設置工事・その1(2008/05/21)

山をグルリと取り巻くように作業用の立派な道路が作られています。

幌内ダム魚道設置工事・その2(2008/05/21)

どうやら魚道は堤体の一部を取り壊して階段状のものを取りつけるようです。

幌内ダム魚道設置工事・その3(2008/05/21)

本来の放水口より低い所に魚道が作られるようです。

幌内ダム魚道設置工事・その4(2008/05/21)

となりますとダムの水位が下がり・・・

幌内ダム魚道設置工事・その5(2008/05/21)

融雪期でほぼ満水状態のはずの時期なのに・・・

幌内ダムのその後(2008/10/17)

どうやら新しい放水口を作っているようですが、はたして魚道はどこに?